彼女……ニナ、とルネッサは呼んでいた……は、酒場の隅の椅子に腰かけて、静かにリュートを弾いている。
あまりに静かすぎて、危うく気付かないところだったくらいだ。
地味な青のドレスに麻のショートマント。髪を留めている大きな赤いリボンだけが、その存在を強く主張している。
小振りのリュートから引き出されるひかえめな音。少しでもよく聞き取るために、君は目を閉じて耳を傾けた。
いつとぎれるとも知れない、か細い旋律。しかし、それは細いが故にあくまで美しく、それでいて確固たる強さを秘めていた。君は何となく、蜘蛛の糸を連想した。
……と、突然演奏が変わった。今までの旋律に、新しい旋律がかぶさってくる。君は思わず目を開けた。別の楽士がやってきて、演奏を始めたのかと思ったからだ。しかし、その音は明らかに一つの楽器……ニナのリュートから流れてくる。こんな演奏は、聞いたことがなかった。
二つの旋律はおいかけあい、もつれあい、はしゃぎあい……
君の前に風景が現れてくる……青い空、緑の草原、じゃれあう二人の子供。一人の髪は青く……
……君は一瞬のうちに酒場に戻っていた。耳が痛いほどの静寂。演奏はやんでいた。
ニナが君を見ている。わずかに眉間にしわが寄り、嫌悪の表情を形作っている。
君が口を開こうとした瞬間、ニナはすっと立ち上がると、酒場を立ち去ってしまった……
「あーあ、怒らせちゃったぁ」
ルネッサのちゃちゃも、君の耳には入らなかった……