教育

 

 日本には「教育を受ける自由」とか言うものがあるらしい。
しかし、「教育を受けない自由」というものは存在しない。
これでは、教育を受けるのは強制ではないのだろうか?
教育を受けなければならないのは小学校、中学校だけで、
ここで学ぶのは社会生活に必要不可欠な事であり、その後はは受けなくてもいいのだから自由だ、
とかいうへ理屈もある。
しかし、人間の生活なんてものに必要なのは読み書きと算数ぐらいのものである。
それさえ出来れば、あとは本人がやる気になればなんとかできる。
それなのに、社会とか理科とか音楽とか生活に必要ないものをやたらと教えたがる。
まあ、これを子供が喜んでいるのならいいのだが、ほとんどの子供は嫌がっている。
これではどう見ても教育の強制であり自由とは言えない。

 そして、その後は子供が嫌がっているにもかかわらず、高校へ進まねばならない。
高校への進学は名目上は自由となっているが、就職口がないとか、
出ていないと周りから差別を受けるとかいうことがあって、実質上は強制されているようなものである。
で、ここで何をやっているかと思えば、進学高という所では大学受験とか言うものに受かるための
生活には全く役に立たない知識を詰め込まされる。
しかも、その知識というものが、古すぎたり、嘘だったりする。
商業高校や商業高校などでは仕事に必要な知識を教えているのだが、
余計な事が多く、実際に使えるのはほんの一部であるらしい。
必要なことだけ教えてくれるなら、10分の1の期間でも可能だろう。

 そして、そこから更に大学というやつが存在する。
ここでは、より専門的な知識と技術の習得が目的という名目になっているが、
実際の所はほとんどやることがない所がほとんどらしい。
そこに通っている学生という奴は週に1回行けばいいとか、
ひどい所になると半年も大学に行っていない、とか言う。
また、反対に非常に忙しい所もあり、休みなど存在せず朝の6時から夜の12時まで
勉強というような所もある。
ここで、何をやっているのかと思えば大学の研究者の下働きである。
技術を教えてもらっているからとはいえ、高いお金を払ってこれはないと思う。
しかも、この技術という奴は非常に特殊化しており狭い範囲の事にしか使えない。
実際に将来役に立つ事はあまりないだろう。
それでも自分が好きだからやっているのならいい。
だが実際の所は就職に有利なように箔をつけるためにやっているようである。
雇用する側も権威に弱い者がいて、人間を見ずに大学で雇用するものを決めたりする。
もっとも、今は大学を出る奴が多く、余っているから大学生だから有利になるような事は少ないだろう。
だが、大学を出ていないから不利になることはあるようである。
従って、多くの親は子供に大学を出ることを強要する。

 このように見ていくとやはり教育というものは自由など存在せず義務であるように思われる。
とは言え、教育の全てが悪いなどとは思ってはいない。
まあ、教育の中には役に立つものも多く含まれている。
だが、役に立たないものが多く含まれており、教育を受けさせられる者には選択権が存在しない
というのが問題であると考えられる。


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