月は夜空に真円を描きその下にいるものたちを照らしていた。
ある者には優しく…、ある者には寂しく…。
今、この少女は月の光をどのように感じているのだろうか…。


月光は常に優しく



ここは京都のとある屋敷の中。
そこには優雅さと静粛さを内包した日本庭園が広がっていた。
庭に面した縁側で、一人の少女が月を眺めている。
背に届いている艶やかな黒髪は月光を宿し、その姿はまるで一輪の花のようであった。
しかし、その横顔には憂いの表情が見て取れた。
だが、その表情は少女の美しさを損ねてはいなかった。
むしろ逆に、少女から女へと変化していく限られた時にのみ見られる儚い美しさを際立たせていた。

「今宵の月は、なぜこんなにも寂しいのでしょうか…」

少女の口からため息と共に言葉が漏れる。
それと共に視線は夜空に浮かぶ月から、少女のすぐ横の何もない空間へと移された。

「やはりあの方が隣にいないからでしょうか…」

その呟きが発せられたとき、少女の瞳は潤み始めた。
そして、少女は再び月を見上げた。
それは、涙をこらえるためなのか、それとも、その場所に目をやることに絶えられなくなったのか…。

その時、少女の後ろから声がかけられた。

「どうしたのですか?」

部屋の影から、月光の下へと姿をあらわしたのは、一人の老婆であった。
その顔には少女と同じ雰囲気を見て取れた。

「お婆さま…」

少女は少し驚いたようだったが、老婆のほうに振り返った。
と、少女の瞳から涙が溢れ出す。
その涙は、悲しみの感情を引き出したのだろうか。
少女の顔はみるまに悲しみの色に染まっていき、口からは鳴咽が漏れ出した。
老婆は少女を優しく抱きしめ、悲しみの波が過ぎるのをじっと待っていた…。






「…そうですか、それで泣いてしまったのですね…」

老婆と少女は部屋の中で向かい合って座っていた。

老婆は少女が泣き止むのを待って自分の部屋へ招き、悲しみの理由といきさつを少女の口から聞いた。

転校生の少年と知り合ったこと…。
少年と共に心踊る体験をしたこと…。
少年がこの京都を離れたということ…。
そして、昨夜、蔵の中で一つの思い出を共有したこと…。

少女はそれをかけがえのない宝物を扱うように告げていった。
すべてを告げ終えた後、少女はひとつの問いを投げかけた。

「この胸の痛みは、どうすれば癒えるのでしょうか…」

問いを投げかけられた老婆は、懐かしいものを見るかのような顔つきで少女を見つめた。
そして、その口を開いた、

「私が知っている方法は二つあります。
一つはその少年のことをすべて忘れてしまうこと…」

そう言われて少女は、その方法をとることができないことを告げようとした。
だが、それはできず、うつむいてしまった。
少女自身、胸の痛みに耐え切れず、それならいっそのこと…、という想いがあったのは事実であったし、
また、老婆のその言葉には、長い年月を過ごしてきたものだけが持てる重みがあったからだ。

老婆は少女の心の内を知ってか知らずか言葉を続けた、

「そしてもう一つの方法は、信じつづけることです」

毅然と発せられたその言葉に少女は顔を上げた。

「その方にもう一度会えると…、
その方も自分のことを覚えていてくれていると…、
ただひたすらに信じつづけることです」

「信じつづけること…」

土の中に水が染み込んでいくが如く、その言葉が少女の心の中に染み込んでいった。
それとともに、少女の表情から影が去っていった。

「この二つの方法どちらを用いるかはあなたが決めることです、
…と言うまでもなくどちらにするか決めたようですね」

確かに微笑みさえ浮かべているその表情を見れば、どちらを採ったのかは一目瞭然であった。

「…ありがとうございます、お婆さま。私、信じつづけます」

そう言って少女は席を立った。
ここに来て始めてみせる年相応の笑顔を残して…。










「お爺さん、そこにいるんでしょう?」

老婆は一人きりになった部屋の中でそういった。
すると襖の一つが開き、そこから厳格な雰囲気を持った老人が入ってきた。

「おまえには、かなわんな…」

老人は悔しくもないという感じで、むしろすべてを見透かされている事が楽しいかのように言った。

「ずっと一緒にいますから…」

老婆は少しはにかんで言葉を返した。
しかしその後、少し表情を暗くして言った。

「あの子達、再会する事ができるでしょうか…」

老人は老婆の傍らに腰を下ろし、肩をそっと抱いた。
月光の下、二人の影が一つになる。

「大丈夫だ。何といってもワシたちの孫娘だからな」

その言葉に納得したのか、傍らに長年連れ添った夫がいるからなのか、老婆の表情は安らいだものになる。
老人もそれにつられて穏やかな表情になる。
そして二人は共に月を見上げた。

「優しい月ですね…」

「そうだね、若菜…」

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